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網野銚子山古墳
京丹後市網野町にある前方後円墳の「銚子山古墳」は全長200メートルの巨大古墳で、丹後町の「神明山古墳」と加悦町の「蛭山古墳」とともに、日本海沿岸三大古墳といわれており、その中でも最大のものです。
古代丹後地方の隆盛を今に伝える代表的な古墳の一つで、崇神天皇の時代、四道将軍の1人としてこの地に遣わされた丹波道主命の墓ともいわれています。古墳の東側の寛平法皇陵古墳、西側の
小銚子古墳 とともに、大正11年に国の史跡に指定されています。
・浦島伝説・
銚子山古墳の後円部への上り口には一本のエノキの老木がたっており、その昔竜宮から戻った浦島太郎がこの場所で玉手箱を開いたため、顔中がシワだらけになり、悲しみのあまりシワをちぎってエノキに投げつけたので、樹皮がシワで凹凸になってしまったという伝承があります。
浦島太郎の祀られている嶋児神社は八丁浜海岸のシーサイドパーク西端にあります。 神社裏手の海岸には嶋子が生け簀に使ったといわれる釣溜(つんだめ)と呼ばれる岩場もあります。 |
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網野八丁浜
長い砂浜と水のきれいな「八丁浜」には、毎年多くの海水浴客が訪れますが、遠浅で波が立ちやすいことから、サーフィンのポイントとしても有名で、多くのサーファーが集まります。
八丁浜の名前の由来は浜の長さからきており、昔の長さの単位で八丁(町)もの長さのある浜ということです。1丁(町)は60間を表し、メートルなら約109mに相当しますので、八丁なら約872mになります。
八丁浜と平行に広がる広大な土地は京丹後市都市公園「八丁浜シーサイドパーク」となっており、サッカーも出来る多目的芝生広場や子供が遊べる遊具も備わったちびっこ広場があり、トイレ・ベンチ・駐車場などの施設も充実しています。
日本海の雄大な景色を見ながら散策・休憩・スポーツなど、多彩なレジャーを楽しむ事が出来ます。
子午線
日本の標準時である東経135度の子午線上の最北の地が網野町にあります。子午線最北の地には網野町のローマ字の「A」をデザイン化したモニュメントが建てられており、太陽光発電をエネルギーとした電気で、日本標準時と世界標準時をデジタル時計で表示しています。
子午線とは地球上を南北方向に結んだ仮想の線で、昔は方位を示すのに十二支を使い、北を「子」、南を「牛」読んでいたことから、この南北線を子午線と呼びます。そしてこの子午線上の真上を太陽が通過する時が正午になるのですが、地域により正午が刻々と変ってゆくため、日本では東経135度の子午線を明治19年に標準時と定められました。
ちなみに東経135度の子午線は日本では北は網野町から久美浜町→但東町→夜久野町→青垣町→氷上町→山南町→黒田庄町→西脇市→社町→小野市→三木市→神戸市→明石市→淡路町→東浦町を通り最南の地、友が島へと結ばれます。
子午線最北の地から見た →
間人方向
静神社
源義経(幼名:牛若丸)が生涯を通じて愛し続けた女性、静御前を祀った静神社が網野町磯にあります。
静御前はここ京都府北部の小さな漁村、網野町磯に生まれ、母と共に上京し白拍子という歌舞を業とする舞女であったが、その舞姿を義経にみそめられ、深く愛してしまうことで英雄「義経」の傍らで波乱の人生へと巻き込まれていった女性です。
この物語はNHKの大河ドラマで「石原さとみ」が静役を演じ、「義経」として放送されました。
静神社は網野町浅茂川地区と夕日ヶ浦・塩江を結ぶ海岸道路の脇にあり、静御前生誕の地である網野町磯地区と日本海を見渡せる高台にひっそりとあります。
五色浜
五色浜は波による侵食で出来た広い波食台で、色々な形の奇岩がつらなり、別世界のような雰囲気をあじわうことが出来ます。
地元では大物の釣れるスポットとして冬でも人気のある場所ですが、鋭い岩肌や高波には十分注意が必要です。
駐車場やトイレ、展望デッキ、自然歩道などが設けられ、五色浜園地としてきれいに整備されていますが、あまり知られていませんので、隠れた穴場の観光スポットとして、ドライブの休憩場所に立ち寄りたい所です。
夕日ヶ浦
網野海岸道路を五色浜から塩江を抜け夕日ヶ浦に出ると、そこには山陰屈指の6kmにも及ぶロングビーチがあり、この夕日ヶ浦から西には浜詰、箱石浜、葛野浜、久美浜小天橋へと続いています。
ここ夕日ヶ浦はその名前に恥じない美しい夕日の見られる海岸として有名で、日本の夕日百選にも選ばれています。
箱石浜
夕日ヶ浦から続くロングビーチのほぼ中央に位置する箱石浜は、開発がされずに、砂丘が海浜植物に覆われた独特の風景を保っています。そのためこの付近は砂丘植物の宝庫であり、絶滅が心配されている「トウテイラン」の群生地でもあります。
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